遠い昔の物語
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
本を読む。
本を読むことが好き。(今のところ)好きといってもそれは日常の中にはない。
だから、漸く辿りつけたこの3日間(計365分)は、貴重な瞬間だった。
「1973年のピンボール」 村上春樹
相方の本棚でそのタイトルを見かけ、なんだかぞわっとした。なんだか。
そして、読もうと思った次の時、「それは三部作だよ」と本棚から、他2作品も持ってきてくれた。
「風の歌を聴け」
風の中の何でもないその空間に身を預けたい。一時だったとしても。
消えて忘れ去っても、消えて忘れ去られても。
それもまた、通り過ぎるということのひとつ。
何だか……複雑で、でも、通り過ぎていくような。
みんな夢のことだったとしても孤独を抱きしめて、
彷徨って、それでも、たった一人でいるわけではなくて……
「羊をめぐる冒険(上)(下)」
流れる時間が、言葉が、人人が、ねっとりと時に、からっと、
ねっとりと纏わりつきながら、消えていく、残っていく。
それでも、ずっと一人のまま誰にも言わないままではいられない。
遠い昔の物語
あの日。
悪くなかった、のかもしれない。きっと、悪くなかったのかもしれない。
365分の旅をしたような時間を経て、遠い昔のあの日を、思い出していた。
それは、記憶に残したくないことだった。さて、実は、それはどうかしら。
時が過ぎれは、その(事実があったことさえも消そうとしても、手で実際に触れられる物を消したとしても)事実に対する感覚は、少しずつ、少しずつ変わっていく。
否めないこと。それは始めから分かっていたこと。
それでも、変わってきたこの感覚が目の前に(あの日が鮮明に)現れた時、驚いた。
それは、本を読むことによって惹き起こされた。それは、いつもそう。
だけど、本を読み始める時には思い出していなかった。すぐに忘れる。
長い間、覚えていられない。よくないこと(時には良いことでもある)ね。
遠い昔のあの日を、思い出していた。鮮明に思い出そうとしていた。
そうしたら、(あの人に、わたしはどんな風に映っていたのだろう)という看板の前で立ち止まっていた。 もう、どうだっていい。それなのに、(わたしはどんな顔をしていたのだろう)という看板でわたしは囲まれている。
そんなことを、記憶を辿って、ぐちゃぐちゃになって、いたたまれなくなって、さびしさと、想い出と、想い出と、ぐちゃぐちゃになって、嘘みたい、夢みたい。
それでも、過ぎてしまえば、悲しくなんか、ない。
過ぎてしまえば、今のことさえも忘れていく。
そして、これから。
もっと、笑えばよかった。
ふと、思う。
「記憶に残っている、あの日」は、遠くなる。記憶に残す、記憶に残るということは、まるで、おとぎ ばなしね。勝手に書き換えているのかもしれないし、勝手に失っているのかもしれない。
それでも、これからは、もっと、笑おう。
波は寄せては返すのだとして、避けたい現象や幻想や症状がいつでもあるとしても、
わたしは、どこにいる。
どこにもいない。
そんなことは、どうだっていいのかもしれないから、
ただ、もっと、笑おう。
それは、悪くないね、きっと。