真夜中の看板持ち

待子あかねです。詩を書いています。白昼社より詩集『スカイランド』『スカイツリー』発売中。

あの日に帰らない

記憶というのは身勝手。
自分一人だけ(一人の時間)で見た景色というのは、一人のもの。
だけれども、だれかと過ごした時間は、(その記憶を)共有できるもの。ただ、それは全く同じものではない。全く同じものではないけれど、その中で、どこか、似たような欠片を似たような場面を感じたらそれは、不思議な気持ちになる。懐かしい気持ちになる。その瞬間が確かにあったと感じられる。その瞬間がかけがえのない瞬間だったと感じられる。

ただ、その瞬間との向き合い方は、きっとひとりひとり違っているはず。それで、いい。それがいい。自分は自分と向き合っていく。それが、もし、(悲しく)ずれていると分かっても、あの日を、あの瞬間を懐かしく、不思議な気持ちになるだけでは、少し悲しい。

今までがあって、今がある。
だから、人生変わった三つの場所のうちの初めの場所のことを(このタイミングを逃してはならないとなぜかぶるっとふるえた)想うとき、(怖くて)否定したくなることも少なくないけれど、そういう感覚よりももっと強く、(人生変わったその場所から、今という場所まで歩いてきた)そして、これからの目の前、足元を、もっと見つめようと考える。

(名前は変わっても)続けていること。
継続しているというよりも、正しくは、(目の前にないという状況も暫くあったけれども)忘れることができないということ。


あの日に帰らない

もしかしたら あの日に なにかを忘れているのかもしれない。
だけど それを思い出すよりも先に 明日に想い出を重ねよう。


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