真夜中の看板持ち

待子あかねです。詩を書いています。白昼社より詩集『スカイランド』『スカイツリー』発売中。

あめちゃんがきらいなわけじゃない

あめちゃんがきらいなわけではない。
むしろ、すきである。春でも夏でも秋でも冬でも、年がら年中、鞄の中にはあめちゃん数個。ワークショップやグループワーク形式(や講義形式であっても)の研修や、、、とにかく、隙があれば、「あめちゃん、どうぞ」と鞄の中のきんちゃく袋からごそごそとして、差し出していた。

あめちゃんがすきである。
目の前に、差し出されている。これは、もらいたい。どっと疲れた心身にはあめちゃんは最高である。そして、目の前にあるあめちゃんはピンク色。かわいい。かわいいピンク色のあめちゃんが、目の前にある。

さて、ところが、わたしは、あめちゃんを受け取ることができなかった。
今でも、悔やんでいる、ほんの少し。
それはきっと、すぐに忘れるべきことなのだとはわかっていても……

あめちゃんを差し出したのは、スーパーの前に立っていた3人の長身の若い男の人のうちの一人。あとの二人は、なにやら必死に大きな声で叫んでいる。どっと疲れた心身は、かわいいピンク色のあめちゃんよりも、そのお兄さんの話を暫く聞き続けなければならないと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。(*電気料金が安くなるプランがある?等のキャンペーンについて、だったようだが……)
一度、話を聞き始めたら、逃れられない。逃れられなくて、その場で発狂して蹲ってしまうのではないかと、、、

あめちゃんを受け取ったわけでもなく、話を延々聞かされたわけでもないのに、苦しくなったのは、(昨日はいなかった、今日の夜のそのスーパーの前に)そこにいる!ということが想定できなかったからだ。

自宅等々には様々なキャンペーンが舞い込んでくる。そのひとつひとつに苦しんでいてはいられない。苦しくても、目の前には、確かに、違うことが沢山あるから。

想定できなかったから、目の前には、それしかなかった。それで、いっぱいいっぱいになってしまった。

 

さて、わたしは、あめちゃんがすき。
あしたは、、すきなあめちゃんを買って、ピンク色のあめちゃんを食べよう。